わけもなく心がざわついてしまう。これは、きっと多くの人が日常生活の中で感じたことのある感情のひとつだと思います。SNSやネットニュースで流れてくる情報に一喜一憂してしまう、他者と自分を比べて落ち込んでしまう……。
情報過多と言われている今、心をゆっくり休められるひとときが、徐々に失われているような気がしてなりません。
私自身、スマートフォンはもはや手放せないものとなっており、暇さえあれば画面をのぞきこむ癖がついています。「スマホ依存」「デジタルデトックス」という言葉を耳にすると、ついドキッとしてしまうことも。
常に何か新しい情報に触れていないと、落ち着かない自分がいるのです。
心の中ではゆっくり休みたいと思っていながらも、いざ実践するとなると、とても難しいことに気づきます。そんなこと言ったって、時間がない。**今以上に心にゆとりを持つためには、どうすればいいのだろう。**このところ、私はそのようなことを考えていました。
導かれるようにして写経と再会
いまひとつ心にゆとりを感じられず、モヤモヤとした気持ちを抱えながら思い悩んでいたある日。私はふと思い立って、雑多に本を詰め込んでしまっていた本棚を整理していました。すると、思いがけないものが出てきたのです。それは写経用の用紙でした。
そうだった。思い起こせば私は20代の頃、よくお寺や神社を巡っていたのです。元々、寺社仏閣の厳かで静かな雰囲気が好きでした。そういった場所へ行くと、なぜかすがすがしい気持ちになれる気がしたのです。
あるお寺で毎月1回開かれる写経会にも、足を運んでいました。ただ当時は、写経がどのようなものなのかが知りたくて、なんとなく通っていたというところです。日々、仕事や家事に追われているうちに、写経からは次第に足が遠のいてしまいました。
私は、本棚から偶然出てきた写経用紙を手に取り、その表紙をそっとなでました。本棚の空いたスペースに無理やり押し込んでいたので、表紙の端には折り目が付いており、少しめくれ上がっている始末。
それなのに、「また、行ってみたら?」という声が聞こえたような気がしたのです。
写経とは、お釈迦さまの教えをもとに書かれた『般若心経』を、一筆一筆、集中して書き写す行為。確かに、今の私に必要なのは写経かもしれない。ゆったりとした時の流れを感じるにはちょうど良い機会なのではないかと、私は思ったのです。
「心を無にする」心地よさ

数日後、私は以前通っていたお寺の写経会に向かいました。
このお寺に来るのも何年ぶりだろうと、懐かしい気持ちになりながら参拝を済ませ、写経道場へ。看板には「道場」と書かれているものの、入りづらい雰囲気は一切なく、誰でも自由に入って、好きなときに退室できるというオープンな場所です。
お寺によっては予約や料金が必要なところもあるので一概には言えませんが、私にとって写経は、少しも堅苦しくなく、気軽に取り組めるもの。こうして数年ぶりに訪れても、すんなりとその場に入っていける温かさが、お寺にはあるように思います。
会場には老若男女、様々な人々が集い、黙々と筆を運んでいます。30人くらいの人がいるのに、部屋はとても静か。私も空いている席に着席して、さっそく取りかかりました。ここからは、あらゆる雑念を忘れるひとときです。
思えば、自分の手できちんと文字を書くこと自体、いつぶりだろう。漢字がパッと出てこなくて、お手本を何度も見てしまう自分に苦笑しつつ、和紙に筆を滑らせていきます。
私は手軽さゆえに筆ペンを使いますが、中にはきちんと墨をすって毛筆で書いている人も。墨の香りが空間にほんのり漂ってくるのも、また心地いいものです。
写経によって得られる効果には、「集中力の向上」「心の浄化」などが挙げられますが、これは本当にそのとおりだと、私は思います。お経を書き写している間は、本当に頭の中が空っぽになるのです。
一文字一文字を丹念に書き写すことを通じて、精神が統一されていくのを感じられる気がします。
そして、写経を終えた後は、心がとてもすっきりしていることに気づかされます。余計なことを考えずに、目の前のことに黙々と取り組むことによって、リフレッシュ効果が得られるのだと思います。
昨今、瞑想やマインドフルネスなどへの関心が高まっていますが、写経にも似たような効果があると言えそうです。
「心を無にする」ということが、私たちにとっていかに大切なことであるか。写経を体験することで、せわしない日々の中で忘れかけていたことを思い出すことができました。
そして、1時間ほどではあるにしても、スマホと距離を置いてみたことで、頭の中がクリアな状態になったように思います。普段はいつも目につくところにスマホを置き、頻繁に手に取ってしまう私ですが、写経中はマナーモードにしてバッグの中にしまっておきました。
たったそれだけのことですが、私は、「今ここにある時間を過ごした」という気持ちになれたのです。
これは、スマホの画面を見ているだけでは経験できなかったことのように思います。目的もなく、ただぼんやりとネットサーフィンをする1時間と、写経で心を無にした1時間。どちらも同じ1時間のはずなのに、心の充実感がまったく違うことにハッとさせられました。
溶けていく時間を取り戻すには

最近「時間が溶ける」という表現を見たり聞いたりすることがありますが、動画配信やSNSを見ていると、本当に時間があっという間に過ぎていくのを感じます。まさに、時間が溶けてなくなってしまったような感覚。
あっという間に時間が過ぎてしまったのに、後には何も残っていないような気がするのです。
私たちはよく「時間がない!」「タイパ重視で!」と口にしますが、実際のところ、時間をなくしてしまっているのは、私たち自身なのかもしれません。
たとえば、ソファに寝転がってSNSを見ていた時間を読書に充てていたら、今までいったい何冊の本が読めただろうか。これは、私が自分に向けて言いたい言葉です。
もちろん、デジタル技術によって得られるメリットもたくさんあるので、完全にスマホやSNSと距離を置く必要はないと思います。自分の時間を大切にしながら、上手に付き合っていくこと。これこそが、これからの時代に求められることなのかなと感じています。
日常に取り入れたい心に効く写経

今回の写経会、心がすっきりと晴れ、さらに時間との向き合い方にも気づかされたひとときでした。静寂の中でほどよい緊張感を味わえるのは、やはりお寺ならではのものではありますが、自宅で写経というのもまた良いものです。
写経用の和紙(お寺や文房具店で購入できます)と筆ペンがあれば、いつでもどこでも取り組めるのが、写経の魅力。なぞり書きで気軽に始められる書籍もあるようです。ひとたびはじめてみると、文字を筆で書くことに夢中になっている自分に、きっと気づくはず。
私たちは日々、やるべきことを目の前にして、時間に追われながら過ごしています。それゆえ、焦りや不安で心がいっぱいになってしまうことも。そんなときは、ぜひ写経に取り組んでみませんか。
写経を行うことによって得られる濃密な時間は、私たちの心を「今」に向かわせ、すっきりと心を整えてくれることでしょう。