早期退職を「設計」に変える3つの軸
35〜44歳女性の就業率は約80%に達し[1]、平均余命は女性で80代後半に伸びています[2]。働く期間が長くなる一方で、定年前にキャリアの舵を切る「早期退職」を検討する人は珍しくありません。編集部が各種統計と実務情報を横断してみると、勢いで辞めてうまくいくケースは例外で、数値で確認し、仮説を検証し、段階的に動いた人ほど満足度が高いという現実が浮かび上がります。早期退職は逃避ではなく、設計次第でキャリアの再起動になり得ます。大切なのは、判断基準を自分の言葉と数字で持つことです。
早期退職という言葉には、希望退職への応募、独立・起業、転職を前提とした退職、ケアや家庭事情に伴う離職など、いくつかの形があります。表面は違っても、意思決定の土台は共通しています。編集部は、判断を支える軸を「お金」「キャリア」「生活・メンタル」の三つに整理しました。いずれも感情論ではなく、具体的な指標で可視化するほど判断の質は上がります。
まずお金の軸では、生活防衛資金をどの程度確保できているかが要です。収入が一時的に途切れる前提で、家計の耐久力を数字で把握します。次にキャリアの軸では、現在地と目的地を「市場価値」「学習曲線」「強みの再現性」という観点で見ます。最後に生活・メンタルの軸では、健康状態やケア責任、働き方の柔軟性が中長期のパフォーマンスにどう影響するかを確かめます。これら三つの軸は互いに連動するため、どれか一つの赤信号だけで判断するのではなく、三つの軸が黄信号以上かどうかを総合で捉えるのが現実的です。
「衝動」ではなく「検証」へ
辞めたい理由が強いほど、判断は短絡的になりがちです。けれど、現職での改善可能性をテストしないままの決断は、退職後に同じ壁へ場所を変えてぶつかるリスクを高めます。配置転換の打診、業務の棚卸しによる負荷調整、柔軟な働き方の交渉、有給休暇での計画的な一時離脱など、できる検証を先にやってみる。それでも改善しない時に初めて、外へ出る選択が「戦略」になります。選択肢を増やす準備ができたとき、辞める・残るのどちらも自由になります。
お金の判断基準:耐久力を数字にする
早期退職の最難関は感情ではなく現金です。まず「月あたりの必要生活費」を固定費と変動費に分けて実測します。家賃や住宅ローン、通信、保険、教育費などの固定費は契約の見直しで削減余地が生まれます。食費や外食、被服、交際費などの変動費は三か月の平均で平準化すると実態に近づきます。ここから一年分の生活費を算出し、最低でも12か月分、理想は18〜24か月分の生活防衛資金があると計画の自由度が一気に増します。たとえば月25万円で暮らすなら、300万円が12か月、450〜600万円が18〜24か月の目安です。もちろん個々の状況によって必要額は上下しますが、目安を言語化しておくと迷いが減ります。
失業給付と社会保険は、抜け落ちやすい盲点です。雇用保険の基本手当は、原則として離職前2年間に通算12か月以上の被保険者期間があれば受給対象になり得ます[3]。自己都合の離職は、待期7日間に加え一定の給付制限がかかるのが通例です[3]。金額や日数は賃金や年齢、勤続年数で変わるため、退職前にハローワークの条件と必要書類を確認し、受給開始までのブリッジ資金を計画に入れておきます。健康保険は任意継続と国民健康保険のどちらが総負担として有利かを試算し、厚生年金から国民年金への切り替えや付加年金の検討も合わせて行います。税では、退職金の有無や年末の源泉徴収・確定申告タイミングが実質の手取りに響きます。「いつ辞めるか」は「いくら残るか」に直結します。
収入側の見立ても、退職前に数字で置きます。転職を軸にするなら、公開求人のレンジやスキル要件を3職種ほど比較し、市場の相場観をつかみます。業務委託や副業をブリッジとするなら、月額のミニマム契約をひとつ仮確保してから動くと、心理的安全性が格段に高まります。独立・起業は売上だけでなく、社会保険・税・ツール費用のランニングコストまで含めたキャッシュフロー表を作ると、黒字化までの必要月数が見えてきます。粗い見積もりでも、家計と事業の通貨を同じ単位で眺めることが、無駄な焦りを消してくれます。
生活費をつかむ3か月と、固定費の設計
家計は「記憶」ではなく「記録」で判断します。例えば三か月だけ、カード明細と家計アプリを同期し、現金支出は週末にまとめて入力します。ここで大事なのは節約そのものではなく、実態を可視化することです。見直しは固定費から着手すると効果が高く、通信はプラン切替、保険は保障と貯蓄の役割を分けて再設計、住宅ローンは繰り上げ返済ではなく金利交渉や借り換えのシミュレーションを先に試すと、キャッシュアウトの波形が整います。固定費が整うと、退職タイミングの自由度が増します。
収入の仮説づくり:相場・テスト・ブリッジ
転職なら、現職と同等以上の年収に固執するより、成長が見込めるスキルの獲得と、柔軟な働き方で総合的なリターンを設計します。求人票の数字だけでなく、評価制度や異動の頻度、リモートの運用実態などの質的情報が、その後の幸福度を左右します。独立・業務委託なら、既存の専門性を小さく市場でテストします。例えば月10時間のスポット案件をひとつ受け、納期、単価、相性を測る。うまく回る仮説が得られたら、時間配分を増やし、確度の低い仮説は捨てる。退職はゴールではなく、仮説検証を加速させるスタートです。
キャリアとメンタルの判断基準:続けられる形を選ぶ
キャリアの質は、長く働く時代ほど累積します。いまの仕事で学習曲線が完全に寝ていないか、期待役割と自分の価値観が恒常的にズレていないか、健康や睡眠の質が仕事によって継続的に損なわれていないか。これらが重なっている時は、外に出る選択が合理的になります。35〜45歳は、親のケアや子のライフイベントが重なる「ケアのはざま」。誰かのための調整力を日々発揮しているからこそ、自分のための調整力も取り戻したいところです。
内省は、紙とカレンダーを使うのが効果的です。三か月先の自分を想像し、「いまの会社で変えられること」「会社の前提が変わらない限り変えられないこと」「外に出れば得られること」を一枚に書き出します。次に、一週間のうちで「エネルギーが増える仕事」と「減る仕事」を具体名で並べて、合計時間を見ます。時間の配分が変えられないなら、場所を変えるしかないという現実に向き合えます。逆に、配分を変えられる余地が見えたなら、退職以外の選択で好転する道も見えてきます。
90日ルール:退職前に試す・退職後に走る
判断を先延ばしにしないために、編集部は90日を一区切りにする方法を勧めます。前半の45日で現職の改善策を集中して試し、後半の45日で外の仮説検証に比重を置く運用です。改善策としては、上司との1on1で役割の再定義を依頼し、業務の優先度と手放す仕事を明文化します。リモートや時短、フレックスの運用範囲の拡張も、制度の文言より実運用の落とし込みが肝心です。有給休暇を計画的に取得し、身体を整える時間を確保することは、判断精度の底上げになります。退職後の45日では、面談やカジュアル面談を集中的に入れ、提案資料やポートフォリオを毎週更新するサイクルに乗せます。**90日で「決める」のではなく、「決められる状態に自分を運ぶ」**のが狙いです。
実行のステップとリスク管理:静かに、丁寧に
決めた後は、静かに整然と動くほどリスクは減ります。退職の意思表示は、就業規則の定め(多くは退職希望日の2週間〜1か月以上前の申し出)を確認し、口頭だけでなく書面やメールで残します[7]。引継ぎは相手が困らない粒度で文書化し、アクセス権限やパスワードの取り扱いをクリアにします。機密保持や競業避止の条項は、入社時の契約書に戻って確認し、疑問点は人事や労働相談窓口に早めに相談します。**希望退職・早期退職勧奨は同意が前提で、強要は許されません[4]。**提示条件は冷静に比較し、退職金の扱い、社会保険の資格喪失日、失業給付の手続日程、年末調整や確定申告の要否まで時系列で並べると、漏れが減ります。
退職後の生活リズムは、案外仕事のときより難易度が上がります。毎日同じ時間に起きて歩く、学習のスロットを固定する、週に一度は誰かと話すなど、心身のリズムを保つ仕掛けを先に用意します。完璧な一日を目指すより、「最低限これだけやればOK」という下限ラインを決めておくと、再始動の初速が安定します。不安が強い日は、数字に戻るのがいちばんです。キャッシュフロー表、応募・面談の記録、体調のログ。記録が、不安の言い分を静かに小さくしてくれます。
早期退職を考える人に向けて、知っておきたい一次情報の窓口も置いておきます。制度や運用は更新されるため、最新情報は公的機関で確認してください。雇用保険や失業給付はハローワーク、労働条件や勧奨の適法性は労働基準監督署や都道府県労働局、法的な書面の読み込みが不安なら法テラスや弁護士相談が頼りになります。
より具体的な準備には、NOWHの関連特集も役立ちます。副業の走らせ方は「月5万円の副業をつくる設計図」、家計の下支えは「固定費の整え方・最新版」、学び直しは「35歳からのリスキリング入門」、メンタルのセルフケアは「眠り直しの科学」を参照してください。
まとめ:迷いは悪ではない。基準が道になる
迷うのは、未来を大切にしたいからです。早期退職は、誰かの正解ではなく、あなたの条件で組み立てる意思決定です。お金は12〜24か月の防衛資金と受給・保険の見通し、キャリアは学習曲線と再現性、生活・メンタルは健康とケアの実態という三つの軸で、感情を数字に翻訳してから決める。90日で検証を回し、決めたら静かに丁寧に動く。そうすれば、辞める・残るのどちらでも、自分で選んだ納得が残ります。
いまのあなたにとって、一番確かに変えられる一歩はどれでしょう。家計の記録を始めることか、上司に一通のメールを書くことか、それとも週末に一件のカジュアル面談を入れることか。今日の15分でできることから、道は具体的に始まります。判断基準を言葉と数字にし、あなたのタイミングで前へ。
参考文献
- CEIC Data. Japan Employment Rate by Age: Female 35 to 44 years. https://www.ceicdata.com/en/japan/labour-force-survey-employment-rate/employment-rate-by-age-female-35-to-44-years
- さつきジャーナル(国土交通省 住宅局関連メディア). 厚生労働省は2025年7月25日、2024年分の平均寿命と平均余命が記載された令和6年簡易生命表を発表しました。https://www.satsuki-jutaku.mlit.go.jp/journal/article/p%3D2818
- 厚生労働省. 雇用保険の基本手当(失業等給付)について。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/koyouhoken/index_00003.html
- 厚生労働省. 総合労働相談コーナー(退職勧奨等の相談窓口)。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192342.html
- e-Gov法令検索. 民法第627条(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)。https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089