私は小学生2人と幼稚園児1人を育てるシングルマザーです。
2年前に離婚し、今は育児と仕事を両立しながら慌ただしい日々を過ごしています。
この記事では、私が離婚に至った経緯と、その中で自分の心がどう変化していったのかを綴ってみようと思います。
同じように育児と仕事に追われている方、夫婦関係に悩んでいる方にとって、何かの参考になればうれしいです。
理想的な家族から狂い始めた歯車

結婚していたころ、私たちは周囲から「仲の良い家族」と見られていたと思います。
休日にはキャンプや旅行に出かけ、3人の子どもたちは元気いっぱいで、私たち夫婦も自然と笑顔が多かったように感じます。
家族写真を見返せば、どれも笑顔ばかりで、「あの頃は幸せだった」と錯覚すら覚えることもあります。
実際、友人や近所の人たちからも「にぎやかで楽しそうな家族だね」とよく言われていました。
しかし、長男・次男が小学生になり、部活を始めた頃から、少しずつ家族の歯車が狂いはじめたのです。
子どもたちの希望で、市内でも厳しいことで有名なスポーツ系の部活に入りました。
土日祝はすべて遠征や練習試合に費やされ、私の休日はまるごと「部活の付き添い」に変わっていったのです。
朝4時に起きてお弁当をつくり、県外まで車を走らせ、帰宅後は洗濯して寝落ちする日々。平日はフルタイムで働き、休みもない生活に、涙が出ることもありました。
それでも、子どもたちが一生懸命に頑張っている姿を見て「私もがんばらなくちゃ」と必死で走り続けていました。
限界を迎え「ノーカウントの夫」として心を麻痺させた

元夫は不規則な勤務体系で、平日に休みが多く、土日は出勤という生活スタイルでした。
そのため、部活の送迎や試合の付き添いなど、土日中心の活動にはほとんど関わることがなく、私がすべてを担っていました。
平日の休みには何をしていたかというと、パチンコに行ったり、前日に飲みに行き昼過ぎまで寝ていたり、自分の趣味や気分転換の時間に使っていたようです。
家庭のこと、子どものことに目を向ける様子はほとんどなく、私が仕事と家事・育児・部活のすべてをこなす姿を、まるで「他人事」のように見ていたのです。
私はあるとき、勇気を出して言いました。「たまには部活に行ってくれない?子どもたちも、お父さんに見てもらえると嬉しいと思うよ」と。
けれど、渋々ついてきたその日、帰宅するなり言われたのは「しんどかった。なんで俺がこんなことまでしないといけないの?」
その一言は、今でも私の胸に刺さっています。毎週のように、朝早くから弁当を作り、長時間の練習や試合に付き添っていた私にとって、その言葉はあまりにも軽く、無責任に感じられました。
何より、子どもが一生懸命していることを応援してあげられないことに悲しくなりました。
「私が毎回、どれだけ大変な思いをしてるか、あなたは見たことがある?」
そう心の中で叫びましたが、言葉にはしませんでした。
喧嘩をする時間も、体力も、もう残っていなかったのです。疲れきった体と心で、私はただその言葉をぐっと飲み込み、自分の中で処理しました。
傷ついていることすら、無かったことにするように。
最初のうちは、「仕事が忙しいのはわかるけれど、もう少し家のことにも関心を持ってほしい」と訴えていました。
けれど、返ってくる言葉はいつも「無理」「俺も疲れてる」「仕方ない」などの否定的なものばかり。
そのたびに、会話の扉は閉ざされ、私の言葉は宙に浮いたまま消えていきました。
それでも、どこかで期待していたのだと思います。
子どもたちの頑張りを一緒に応援したい、一緒に喜びたいという気持ちがありました。
けれど、期待は何度も裏切られ、そのたびに心が少しずつ削られていくのが自分でもわかりました。
そしてある日、ふと気づいてしまったのです。「この人に、もう何も期待してはいけない」「期待するから、傷つくんだ」
そう思った瞬間、私は夫に対して感情を動かさないと決めました。それは“諦め”ではありましたが、同時に、自分を守るための唯一の手段でもあったのです。
そして、忘れもしない限界を迎えた日がきます。当時3歳だった末っ子が熱を出した日、大切な大会があり、私はどうしても部活に付き添わなければなりませんでした。
「お願い、仕事を休んで下の子を見てくれない?」と頼んでも「忙しいから無理」と即答されたのです。
仕方なく私は、38度の熱を出した末っ子を抱っこひもで抱え、真夏の炎天下、グラウンドに立ちました。汗だくになって泣く我が子をあやしながら、上の子どもの応援をする自分。
そのとき、私は心の中で夫への信頼と愛情の最後の糸がプツンと切れたのを感じました。
その日を境に、私は夫を「いないもの」“ノーカウント夫”として扱うようになりました。手伝いもない、共感もない、そんな人に、私はもう何も言わないと決めたのです。
心の中で、「この人にはもう期待しない」「夫ではない」と考えることで、自分の気持ちを守るしかなかったのです。冷たく聞こえるかもしれませんが、それが私の“心の防衛手段”でした。
半年後に発覚した夫の裏切り

そんな生活が半年ほど続いた頃、夫の不倫が発覚しました。末っ子が熱を出したあの日も、「仕事で行けない」と言っていたのも実は嘘で、不倫相手と会っていたのです。
私は驚きもせず、怒りも湧かず、ただ「やっぱりね」と冷静に受け止めていました。
そのときにはすでに、夫への愛情はゼロになっていたのだと思います。
そして、私は離婚を決意しました。
離婚から2年。今振り返って思うこと

離婚して2年。今では子どもたちと穏やかに過ごしています。
部活の送り迎えは相変わらず大変だけど、誰かに期待して裏切られることもなく、気持ちはずいぶんラクになりました。
ただ、時々ふと考えることがあります。「あのとき、もっと夫と向き合えていたら結果は変わっていたのだろうか?」と。
もちろん、不倫という行動は許されるものではありません。
家族を裏切るという選択をしたのは彼であり、それは事実として変わりません。
でも、私も途中から夫ときちんと話すことを諦め、蚊帳の外に追いやってしまったのは事実です。「どうせ変わらない」「何を言っても響かない」と、いつしか彼をノーカウント”として扱うようになっていた。
どちらか一方だけが悪いわけではない——それが、今の私の率直な思いです。
夫婦といえども、言わなければ伝わらないことはたくさんあります。思っていること、しんどいこと、感謝していること。
些細なことでも言葉にして、目を見て話すことの大切さを、私はこの経験から痛感しました。育児や仕事で忙しい30代40代こそ、家庭での会話を大切にしてほしい。
「黙って耐える」は、強さではありません。自分の心が壊れる前に、誰かに話して、助けを求めてください。
離婚は私にとっての再出発
私にとって離婚は“逃げ”ではなく“再出発”でした。あのまま夫婦を続けていたら、きっと今のような穏やかさは手に入れられなかったと思います。
これからも、私は自分の気持ちをごまかさず、子どもたちと一緒に笑って過ごしていきたいと思っています。
そして、同じように悩んでいる誰かがいたら、声を大にして言いたいです。「自分の心に嘘をつかないで」と。