ROIとROASの定義と計算式
まず用語を揃えます。ROASは広告の売上効率を示す指標で、計算式はROAS=売上÷広告費×100%。広告に使った1円が何円の売上を連れてきたかを、シンプルに可視化します。対してROIは投資の利益率で、ROI=(利益−投資額)÷投資額×100%。広告費を投資額とみなし、売上から原価や手数料などを引いた「利益」を基準に語るのが特徴です[4]。似ているようで、片方は売上、もう片方は利益。ここに本質的な違いがあります。
研究データでは、短期の最適化にROASが有用である一方、事業の健全性はROIで評価するべきだと繰り返し指摘されています[2,4]。なぜなら、売上は一見大きく見えても、原価や物流費、クーポンの原資、決済手数料を差し引くと、利益は思ったより細くなることが多いからです。ROASはスピード、ROIは健全性。この二軸を押さえると、議論が早くなります。
ROASの計算と意味:運用の舵を切るための速度計
ROASは運用型広告の現場に向いたスピード指標です。キャンペーン、広告グループ、クリエイティブの単位で数字を並べると、どの組み合わせが売上を作っているかが瞬時に分かります。入札調整や配信停止の判断が秒単位で求められるとき、ROASは強い味方になります。特に新規獲得を担う施策や、セール期間の短期勝負では、シンプルで反応が早いこの指標が機能します。
ただし、ROASは売上ベースゆえに、粗利率の低い商品ほど数字がよく見える傾向があります。割引やポイント還元で売上が膨らむほど、見かけの効率が良化してしまうのも注意点です。売上が伸びたのに利益が残らない、という“あるある”はROASだけを追った結果起きやすくなります。
ROIの計算と意味:事業の健全性を測る体温計
ROIは粗利や固定費を意識する指標です。広告費を投資、利益を成果と見なすことで、「やるほど赤字」という事態を避けやすくなります。新市場への参入や価格改定の検討、チャネルミックスの見直しのように、意思決定の重みが大きい場面ではROIが役立ちます。とくに定期購入やSaaSのような継続課金モデルでは、初回の赤字を後の回収で補う設計が一般的で、LTV(顧客生涯価値)を織り込んだROIでなければ実態に合いません[4]。
ここで一つ、具体的な数字でイメージを揃えましょう。広告費が100万円、売上が300万円、粗利率が30%のケースを考えます。ROASは300%で一見優秀に見えますが、粗利は90万円。ROIは(90万円−100万円)÷100万円=−10%となり、実は赤字の投資でした。反対に、初回売上150万円でROASは150%でも、解約率が低く平均3回購入が続くサブスク型なら、LTVベースの粗利でROIが大幅プラスに転じることがあります。何を成果と定義するかで、風景が変わるのです。
使い分けの核心:短期と長期、現場と経営
現場がROAS、経営がROIを好むのは自然な反応です。短期の売上目標を追うチームにとっては、ROASの改善がダイレクトに日々の成果へつながります。一方で、事業の持続可能性を担う立場では、粗利や固定費を含めたROIが不可欠になります。重要なのは、同じテーブルで二つの言語を翻訳する役割を誰が担うか、です。
シーン別の判断軸:どの会議で何を見るか
週次の運用会議では、配信面やキーワード単位でのROASに加え、CVの質を示すシグナル(リピート率、平均購買単価の近似指標、返品率の傾向など)を軽く添えて、「スピード重視の画面」を維持します。月次や四半期の事業レビューでは、粗利、CPAだけでなく貢献利益や回収期間、チャネル別のROI曲線を示して、「健全性重視の画面」に切り替えます。資料は同じデータソースから作るのが理想ですが、見せ方は切り替える。これだけで議論の摩擦は大きく減ります。
LTV・粗利・固定費:ROIを正しくする三点セット
ROIを現実に近づける鍵は三つあります。第一に粗利率を商品カテゴリ別にきちんと設定すること。第二に、LTVは“期待値”として期間を切って扱うこと。12カ月での平均粗利LTV、あるいは回収期間が90日なら90日での粗利LTVのように、窓の長さを決めて比較します。第三に固定費の扱いです。クリエイティブ制作費やツール費をどこまで投資額に含めるか、ルールを先に決めてブレなく運用します。これらが揃って初めて、ROIが“経営のスイッチ”として機能します。
ありがちな落とし穴と、避けるコツ
数字は正直ですが、計測の設計が歪むと簡単に裏切ります。ここでは、現場で頻発する誤解を三つの視点から整理します。
まず、ROASが高いのに利益が出ない問題。セールやクーポンで売上を底上げし、見かけのROASを引き上げるほど、粗利の土台が痩せやすくなります。割引とポイント原資、アフィリエイト手数料を足し忘れると、黒字に見える赤字が生まれます。実務では、売上ではなく粗利ベースROAS(粗利÷広告費)を併記すると、意思決定の質が上がります。
次に、アトリビューションの罠です。プラットフォームごとの計測は貢献を自社寄りに見せるバイアスがかかりやすく、特にラストクリック偏重だと「刈り取り」系の媒体が過大評価されます[2]。iOSのプライバシー強化(App Tracking Transparency)や[5]、ChromeにおけるサードパーティCookieの制限に向けたPrivacy Sandboxの進行[6]で、トラッキング自体が不完全になっている現状では、媒介効果や相乗効果まで完全には捉えにくいのが実情です。そこで、媒体横断の重複除去を前提としたサーバーサイドの集計[7]や、地域別・期間別の地理リフト(コンバージョン・リフト)実験[8]など、因果に近づく補助線を用意しておくと、数字のブレに耐えられます。
最後に、短期最適化と長期価値のトレードオフです。クリック率やCVRの改善は短期のROASを押し上げますが、同じ訴求を繰り返すほどブランドの記憶は摩耗し、長期の指名検索や自然流入が痩せていきます。Binet & Fieldの研究が提唱する60:40の考え方は、まさにこのジレンマへの解です[3]。配分の最適点は業種やライフサイクルで変わるものの、「獲得の効率が落ちてきたらブランド投資を厚くする」という原則は、ほとんどの市場で有効です。
40代の現場リーダーが押さえる運用術
指標の翻訳者になるには、小さな習慣が効いてきます。まず、週次ではROASとCPAを見ながら、粗利率の違いが激しい商品は分けて集計します。次に、月次ではチャネル別の粗利貢献と支出の関係を散布図で確認し、限界ROIが下がる手前で追加投資を止める練習をします。そして、四半期ではLTV回収の仮説検証を置き、解約率が想定を上回った場合の引き返しラインを明確にします。数字の見方を“時間の粒度”に合わせて変えるだけで、会議の空気は具体的になります。
もう一つ、伝え方のコツがあります。現場への共有では「今週はROASが◯◯%、停止候補はこの3枠。粗利ROASは横ばい」と短く、経営への報告では「当月の広告ROIは◯◯%。粗利LTVの回収見込みは90日、限界ROIは投資額◯◯万円を超えると低下」というふうに、言葉と単位を切り替えます。どちらも同じ事実ですが、受け手の判断に必要な情報が違うからです。
実例をもう一つ。D2Cのスキンケアで、客単価6,000円、粗利率60%、広告CPAが4,000円、初回継続率50%という前提を置きます。初回の粗利は3,600円で、広告費4,000円に届きません。ROASは150%でも、初回ROIはマイナスです。しかし2回目の購入で追加の広告費がゼロなら、2回目の粗利3,600円がそのまま回収に寄与し、2回継続でROIはプラス転換します。ここで重要なのは、継続率の改善がROIをどれだけ押し上げるかを、運用とCRMが共有していること。クリエイティブの訴求を初回割引から“次回メリット”へ移す判断は、まさにこの接続から生まれます。
まとめ:数字は冷たい。でも使い方は温かくできる
ROASはスピードのために、ROIは健全性のためにあります。短期の運用判断ではROASがエンジンになり、四半期の事業判断ではROIがハンドルになります。粗利、LTV、固定費という現実の重さを指標に埋め込むと、議論は“主観”から“構造”へと移り変わります。チームの誰が見ても同じ結論にたどり着ける資料を作ること、それがリーダーの仕事の半分です。
今日からできる第一歩として、今週はROAS、今月は粗利LTV、四半期はROIという時間軸の切り替えを意識してみてください。迷ったら、売上ではなく粗利で見る。短期ではなく回収期間で見る。個人戦からチーム戦への移行期にある私たちにとって、数字はプレッシャーではなく、味方になりえます。次の会議で、どの数字から話し始めますか。
参考文献
- 電通「2023年 日本の広告費」インターネット広告費 3兆3,330億円(2024年発表)https://www.dentsu.co.jp/knowledge/ad_cost/2023/index.html
- Nielsen. Are you investing in performance marketing for the right reasons?(2024)https://www.nielsen.com/ja/insights/2024/are-you-investing-performance-marketing-for-right-reasons/
- Thinkbox. The 60/40 rule: Binet & Field’s effectiveness framework(IPA研究の要約)https://www.thinkbox.tv/research/the-60-40-rule/
- Salesforce. The Marketer’s Guide to ROI(MROI/ROIの基本と算出方法)https://www.salesforce.com/marketing/analytics/roi-guide/
- Apple Developer. App Tracking Transparency Framework(iOS 14.5+)https://developer.apple.com/documentation/apptrackingtransparency
- Google. Privacy Sandbox(ChromeのサードパーティCookie制限に関する取り組み)https://privacysandbox.com/
- Google Tag Manager(Server-side tagging の概要)https://developers.google.com/tag-platform/tag-manager/server
- Meta Business Help Center. About Conversion Lift Tests(コンバージョン・リフトの測定)https://www.facebook.com/business/help/1731974743726233/