ロジカルシンキングとは:感情と両立する実用の思考
Microsoft Work Trend Index 2023では、ナレッジワーカーの「週の57%」が会議・メール・チャットなどのコミュニケーションに費やされていると報告されています[1]。さらに、McKinsey Global Instituteの分析では、知的労働の約28%がメール対応、約19%が情報探索に使われているという結果もあります[2]。つまり私たちの時間の大半は、考えることそのものより、考えを伝え、合意をつくる行為に割かれているのです[4]。ここで効いてくるのがロジカルシンキング。資料を早く仕上げるためだけでなく、曖昧な状況でも筋道を見つけ、関係者の納得に辿り着くための実用の技術です。編集部では各種レポートや実務のケースを踏まえて整理し、**今の仕事と暮らしにすぐ使える「入門」**としてまとめました。
ロジカルシンキングは、事実と前提を切り分け、因果の筋道を明らかにし、誰が読んでも同じ結論にたどり着ける再現性を目指す考え方です。しばしば冷たい思考だと誤解されますが、実際には感情と対立させるものではありません。むしろ不安や葛藤が大きい場面こそ、論点を言葉にして整えることで、合意への道筋が見えやすくなります。意思決定の科学で知られる研究では、人の判断は直感と熟考が交互に働くとされます[3]。直感で方向を掴み、ロジックで検証し、また直感で選ぶ。この往復運動を滑らかにする土台がロジカルシンキングです。
どんな場面で効くのか:会議、資料、日常会話
たとえば週次会議で議論が発散する、決裁者に刺さらず企画が通らない、子どもの進路の話が感情論で空回りする。共通するのは論点が混線し、前提が共有されていないことです。ロジカルシンキングは、まず目的を明確にし、次に論点を整理し、最後に根拠をそろえるという順序で、話を進めます。目的が「コストを下げること」なのか「顧客満足を上げること」なのかで、選ぶ解決策は大きく変わります。日常会話でも、ゴールを先に置くことで対話が穏やかになります。「今日は何を決めたい?」というひと言は、小さな合意形成の扉です。
基本の三要素:問題定義、分解、検証
入門の段階で大切なのは難しい専門用語ではありません。まず「何が本当の問題か」を定義すること。次に「全体を漏れなくダブりなく」分けること。最後に「事実に基づき、反証可能に」検証すること。この三つを丁寧に回すだけで、意思決定は驚くほど安定します。編集部の取材メモでも、迷ったら問題文を短く言い直す、切り口を一つ変えて分け直す、反対の仮説も置いてみるという小さな作法を繰り返しています。
問題定義と分解:最短で核心にたどり着く
良い解は、良い問いから生まれます。たとえば「残業が減らない」を問題と見なすと堂々巡りになりがちですが、「なぜ今、どの部署で、どの業務の残業が増えているのか」と言い換えると調査の視点が生まれます。目的が「人件費の抑制」なのか「離職の防止」なのかでも、優先順位は変わります。ここで効くのが分解です。業務プロセスで分解すれば、受注、制作、承認、納品という流れに沿って滞留箇所を特定できます。量と質で分ければ、工数や件数といった定量の話と、判断のやり直しや仕様不明確といった定性の話に整理できます。内と外という切り口を使えば、自社のやり方に起因するのか、取引先とのやり取りに起因するのかが見えてきます。
編集部で見かけたケースでは、制作部門の残業が増えたとき、まず過去3カ月の案件別の工数と手戻りの回数を並べました。すると承認フローの途中で差し戻しが集中していることがわかり、承認者の基準が人によって違うという前提が露呈しました。次に承認の観点を事前に一覧化し、着手前に合意する仕組みに変えたところ、平均の差し戻し回数が半分に低下しました。最初から「人手が足りない」と決めつけるのではなく、分解して筋道をたどることで、打ち手の質は変わります。
MECEとロジックツリー:抜けとダブりを防ぐ
分解に慣れないうちは、紙に大きな枝を書いて広げる感覚を大切にしてください。売上であれば客数と客単価、さらに客数は新規と既存、客単価は商品単価と購入点数というように、同じ基準で階層的に分けます。ここでのコツは、切り口を途中で混ぜないことです。分けたら、各枝にデータや観察事実を置き、太い枝を見極めます。全体像が見えない不安は、構造が見えるだけで落ち着きます。
因果と相関をわける:誤解の源を断つ
相関がある二つの出来事が、必ずしも因果で結ばれているとは限りません[5]。繁忙期に離職が増えたからといって、繁忙期そのものが原因とは言い切れないのです。真の原因が昇格試験の不合格通知に重なっていた、ということもあり得ます。仮説としての因果を置いたら、反対の事実を探す、期間をずらしても当てはまるかを見る、第三の変数がないかを疑う。こうした小さな検証の積み重ねが、打ち手の精度を上げてくれます。
伝わる構造と日常への落とし込み:PREPで「結論から、根拠まで」
どれだけ良い分析でも、伝わらなければ動きません。入門としてまず身につけたいのがPREP法です。結論、理由、具体例やデータ、そして結論の順に話すだけで、理解のスピードは一気に上がります。たとえば部長への提案で「承認フローを一枚化します」という結論を最初に置き、次に「差し戻しの7割が観点の抜けによるため」という理由を示し、「直近3カ月の差し戻しログ202件のうち観点起因が142件」とデータで支え、最後に「よって、一枚化と事前合意で差し戻し半減を狙います」と結ぶ。読み手は迷子にならず、質問も的確になります。
反論に強くなる:前提の開示と選択肢の提示
反対意見が出やすいのは、前提が共有されていない時です。計算の前提、評価軸の重みづけ、考慮外とした要素を冒頭で明らかにすると、議論は建設的になります。また、単一案だけではなく、速度重視の案と品質重視の案のように性格が異なる代替案を並べると、意思決定者はトレードオフを比較しやすくなります。ここでもロジカルシンキングは役に立ちます。評価軸を定め、重みを合意し、各案を同じ物差しで比べる。この手続きがあるだけで、感情的なもやもやは小さくなります。
10分でできる実践:会議、メール、家庭で試す
忙しい日々の中で、新しい思考法を「勉強する」時間を確保するのは難しいもの。だからこそ、生活の流れに差し込める小さな練習から始めます。会議の前には、目的、決めたいこと、必要な前提の三つをメモに一行ずつ書き出します。開始直後に共有できれば、脱線を防げます。会議の後は、決まったこと、決まらなかった論点、次のアクションを一段落で書き残すと、記憶の曖昧さが減ります。メールやチャットは、一文目を結論にする癖をつけるだけで、相手の理解速度が上がります。依頼のメールなら、期日、必要なアウトプットの形、判断材料となる情報を先に置き、背景は後に続けます。家庭でも応用できます。たとえば週末の買い物は、目的と制約から逆算します。来週は夜が遅い日が多いから、火を使わず食べられるもの、冷蔵で三日もつもの、子どもが自分で準備できるもの。こうして前提を置いてからリストを作ると、帰宅後の悩みが減ります。進路や家計の話題も同じです。感情を大切にしながら、今日決めることと、まだ決めないことを分けるだけで、対話の温度は下がります。
実は編集部でも、毎朝のタスク整理にロジカルシンキングを使っています。まず今日の目的を一言で書き、その目的に最短で効くタスクを三つまで選ぶ。残りは保留リストに置き、午後の自分に判断を委ねます。すべてを同時に解こうとしないことも、論理的に生きるための優しい選択です。
まとめ:小さく始めて、続けて、振り返る
ロジカルシンキングは特別な人のための難しい技ではありません。目的を先に置き、分解で全体を見渡し、事実で検証し、結論から伝える。この地味な反復が、発散しがちな毎日に輪郭を与えてくれます。完璧さではなく再現性を、速さではなく合意を、正しさだけでなく納得感を。ゆらぐ日々の中で私たちに必要なのは、正解探しではなく、より良い問いと小さな前進です。
今日の一歩として、直近の一本のメールをPREPで書き直してみませんか。 一文目に結論、次に理由、事実や数字、最後にもう一度結論。たったこれだけで、伝わり方が変わります。もし効果を感じたら、次は会議の冒頭に目的を一言で置いてみる。少しずつ、でも確実に、あなたの時間と心に余白が生まれます。
参考文献
- Microsoft. Work Trend Index 2023: Will AI Fix Work? Microsoft Source Asia (2023). https://news.microsoft.com/source/asia/2023/06/01/microsoft-work-trend-index-2023-releases-new-insights-on-how-ai-will-change-the-way-we-work-in-india/
- McKinsey Global Institute. The social economy: Unlocking value and productivity through social technologies (2012). https://www.mckinsey.com/industries/technology-media-and-telecommunications/our-insights/the-social-economy
- Kahneman, D. Thinking, Fast and Slow. Farrar, Straus and Giroux (2011).
- McKinsey & Company. Boosting the productivity of knowledge workers. https://www.mckinsey.com/capabilities/people-and-organizational-performance/our-insights/boosting-the-productivity-of-knowledge-workers
- Hernán, M. A., & Robins, J. M. Causal Inference: What If (2020). https://www.hsph.harvard.edu/miguel-hernan/causal-inference-book/