〇〇障害。~ "普通"、"正解" とは ~ 子育てを通して感じた私なりの答えとは

発達障害という言葉と向き合いながら子育てを続けた私の体験談。「普通」や「正解」という概念に縛られず、我が子と共に歩んできた道のりをお話しします。

〇〇障害。~ "普通"、"正解" とは ~ 子育てを通して感じた私なりの答えとは

 私は親になって初めて知ったことが山ほどある。

その中でも”発達障害”というものは私の子育てだけでなく、価値観、人生観にも多くの
”気付き”、“学び”、を与えてくれている。

 これから私の経験談、そこからの気づきと学びを書いていく上で、誤解のないように伝えておきたい。私は決して発達障害や〇〇障害、と名の付くものに良い悪い、とジャッジしているわけではない。もし、そう感じさせてしまったらそこまでだけど。

 世の中には本当に色んな人がいて、その人それぞれの状況、状態があることも知った。
大前提として、どんな状況、状態であろうと生きているだけで素晴らしい。

「 何が出来る、出来ない」じゃない。「何が有る、無い」、じゃない。
生きているということ自体が、その人それぞれの命が動いていることに間違いは無いからだ。

(他人事から自分事へ)

 

 私が発達障害という言葉を初めて聞いたのは、子どもを産んでからのこと。

自分の子ども時代には発達障害という言葉自体、聞いたことがなかったし、学校で習ったこともない。

 私が前から知っていた”障害”、と名の付くものは身体障害と知的障害だけ。
発達障害、と初めて聞いたときは何のことかイメージも湧かないくらい未知の存在だった。

 沢山の情報が溢れている時代、子育てにつまづく度にまずはネットで調べていた。
子どもの成長が進んでいくにつれて、私が子育てで知りたい情報には”発達障害”という言葉が検索ワードの候補によく登場するようになっていった。

 我が子は育児書、母子手帳に書かれている”成長の目安めやす”からは遅れている子だ。
なので、子育て支援センターや児童館で一緒になる同年代の子と見比べても発達が遅い。

 “周りの子はみんな出来ているのに、どうして私の子は…”、そんなモヤモヤが我が子の成長と共に増えていった。

 周りの子達が当たり前のように出来ていくことが出来ない我が子を見て、私はだんだんと仲の良いママ友にも、我が子の発達の悩みを話せなくなっていった。

 その時は既に、ネットで軽く調べていた”発達障害”に、我が子が該当しているのでは?、という自覚があった。周りの子達と違う我が子は、これからみんなと同じようには進んでいけない、そんなことを勝手に先読みして、勝手に取り残された気持ちになっていたからだ。

 00歳から22歳くらいまでは、どこか他人事のように捉えていた発達障害。

幼稚園の入園前後から、もう他人事と思えなくなった。発達速度が遅いのは分かっていた。

しかし、幼稚園に通い始めたら、周りの子から影響を受けて成長が進むだろうと淡い期待をしていた。

 でも実際は、比較対象が常に周りにいる環境で、比較しないように心がけていても、周りから出遅れている我が子が視界に入るたび、“まただ”、“やっぱり”、そう思っては”発達障害”という言葉が自分の中で色濃くなっていった。

(逃げずに受け止めていく)

 我が子が幼稚園に通い始めてからは、“発達障害”、“療育”、をネット検索する機会が増えた。

 現状を鑑みても、我が子はだいぶ黒寄りの”発達グレーゾーン”だろうと思っていた。

仲の良いママ友には、“言葉がなかなか出ない”とか、“発達ゆっくりなんだ”、という話はしていた。でもそれ以上、踏み込んだ話は誰にもしなかった。

 我が子が2、32、3歳頃からずっと、発達状況に悩んできた。家族には話してきたけど、日々のちょっとした場面(幼稚園や公園でふと見かける状況など)で、同年代の子と差を感じて不安になる自分の気持ちは、家族であっても伝わりにくいと感じる。

 夫も自分の親も、幼稚園や公園で幼稚園の友達と過ごす、いわば”日常の我が子”の姿を見る機会はほぼ無い。参観日や行事の我が子を見るだけでも、周りの子から遅れていることは分かるのだけど。私は日常のふとした瞬間にも、それを感じることが何度もある。

 乱暴な言い方だけど、夫や家族に”確かに心配になるね”、と言われても、“こんなの序の口だよ”、と思っていた。

 大前提として、自分のことを100100%理解してくれる人なんて、どこを探しても存在しない。それでも、どこか、少しでも、共感できる相手がいたら…と思っていた。でも、この悩みをママ友に話したら、変に気を使わせてしまったり困らせてしまう。

 そう思うと、申し訳なくて余計に誰にも話せなかった。

 ネットで調べて出てくる発達を促すような声かけや行動なんて、幼稚園入園前からやり尽くしていた。

教材や本を買ったり、本当に色んな事を試してきた。

言葉で理解するのが難しいなら、と絵に描いたり、あの手この手を尽くして、我が子が理解できる方法を探した。

 きっと、根気よく続ければいつかは実ると信じてやり続けた。

でも、もう限界だった。打てる手がもう無くなっていた。

ここまで来たら自分だけではどうにもできない、完全にお手上げ状態だった。私のメンタルも限界だった。何をしても響かなかった。

親として、なにも出来ないのかと思うと情けなさと悔しさがこみ上げてきた。

 何度、泣いただろうか。何度、我が子に八つ当たりしただろうか。

 我が子はなにも悪くないのに。必死になっているのは自分だけなのも分かっていたのに。でも、それすらも腹が立つときがあった。“私はこんなに頑張っているのに!“って…。

 もっと、私が我が子の発達に対して大らかに捉えられる親だったら良かったのに。
我が子にとっての幸せって何なんだろう?何度も何度も考え、悩んだ。本当に苦しかった。

 もう十分頑張った。専門家の力を借りよう!

私だけでは、家庭だけでは、もう無理だ。意を決して自治体の発達相談に電話をした。 予約がすぐ取れないことも分かったうえで。

 我が子の状況を説明した。ずっと誰にも話せなかった思い、葛藤も全部吐き出した。 淡々と全てを話すつもりだったのに、ただ話を聞いてもらえてることの感謝なのか安心感なのか、我慢してきたものが崩壊してボロボロ泣いた。

 22ヶ月後の発達検査の予約を取って、電話を切った。

検査結果は受ける前から何となく予想できていた。 当時の私は本当に限界で、もう逃げずにどんな結果も受け止めようと決心していた。

(葛藤した末の決断と気づいた”普通”と”正解”)

 我が子の発達のことに向き合おうと決めて予約を取った発達検査。この日を迎えるまでに約22ヶ月の時間があった。その2ヶ月間で、何度も何度も葛藤した。

やっぱり辞める、絶対に受けた方が良い……。この思いが無限ループしていた。

 結果はどうあれ、とにかく受けてみないと何も始まらない。

その反面、結果を受け入れる覚悟を決めたようで、実際は決め切れてはいなかった。

何度も葛藤した末、検査日の22日前にキャンセルの電話をした。

 実は、検査まで11ヶ月を切ったタイミングで、たまたま公園に同じ幼稚園の子が沢山来た日があった。学年も性別もバラバラ。私は我が子から友達の名前を聞いたことが無かったので、クラスメイト以外の子を全く知らなかった。

 私が初めて会う同じ園の子達が、我が子の名前を呼んで駆け寄ってくる。 一緒に遊ぼう、これしよう、あれしよう、代わるがわる誰かがやって来て、我が子を遊びに連れて行く。

 会話をしたり、何か役割をつくって遊んでいる様ではないけど、我が子も含め、みんなとても凄く楽しそうだった。

 私はこの光景を見て気づかされた。

確かに、我が子は同年代の子と比べたら、足りないところが多い。 でも、その足りないところを補ってくれる存在がいて、我が子は完璧じゃなくても受け入れられていた。

 もしかしたら、完璧じゃないからこそ、沢山の人から優しさや愛情をもらえているのかもしれない。。。

 私はずっと、この”足りない”ものを必死に補おうとしていた。

足りないままではダメだとジャッジしていたからだ。 “完璧”であることが正解で、“みんなと同じ”であることが普通だと思い込んでいたから。

 でも、我が子の周りには、足りないままで”大丈夫”な世界があった。 毎日欠かさず我が子を見ていたつもりだったけど、私は大事な事を見落としていたようだ。

 その時、初めて会ったママから言われた。「“うちの子はいつも〇〇ちゃん(我が子)の話をしてるんです。嫌なこと言わないし優しくて可愛いって。いつも遊んでくれてありがとうございます。」”

 我が子は、我が子のままで誰かを笑顔にしていた。この子の”足りない”が、誰かの支えになっていたのかもしれない。

 私が今まで感じていた我が子の”足りない”を補うことは、この子の良さを奪うことになるかもしれない、とまで思った。

 我が子自身が周りから遅れていることに気づいているのかは分からない。

でも、そのままの自分で生きること、そのままの自分で生きて大丈夫なことを、私よりも知っているのかもしれない。

 そう思ったら、我が子は全然、足りない子なんかではない。 むしろ私よりも、よっぽど”自分”という存在を信頼していてカッコよく生きている。

 それに気が付いてたから、私は発達検査をキャンセルした。

発達障害、と疑って(事実かなり怪しいが)少しでも定型発達に近づけようと必死に頑張っていたけれど。我が子にそれは必要ない、少なくとも現時点では。そう確信した。

 私は自分の経験から気づいた、感じていることがある。

 そもそも、子育てには正解はない。

それなのに、どこか”平均”や”普通”といったモノゴトを、“正解”と捉えてはいないだろうか。

 過去の私は正にそうだった。しかし、その”平均”や”普通”は、社会や、誰かや、何かの都合によってつくられたもので、それを無意識に人々に植え付けてしまった結果、そこから外れた人を〇〇障害、とするようになったのではないだろうか。

 この〇〇障害、というものが悪だとは思っていない。必要な人もいるからだ。 全ての人が同じスペースで生きることが、必ずしもその人の幸せとは限らない。

 だから、〇〇障害、検査、場所をつくる意味、存在の大切さも分かっている。 救われる人が沢山いる、良い悪いではなく、選択の自由は確保するべきだと思うから。

 ただ、この世に同じ人間は一人として存在しない。人それぞれみんな違うのが当たり前。 その人間の、どこをどうやって”普通”、“みんなと同じ”、とできるのだろう。

 社会や何かによってつくられた、“普通”から外れた人が〇〇障害というなら、私は逆に問いたい。“普通”であることも不自然ではないだろうか。むしろ、“普通障害”なのではないだろうか。この”普通”の中に、最近よく言われる”多様性”は存在しているのだろうか、と。

 現在、発達検査をキャンセルして数年が経っている。

実はこのことについて現在も葛藤することがある。

「あの時、受けた方が良かった?」、と思うことは今でも多々ある。

 私たちは生きる上で常に多くの、様々な選択をしている。 過去の小さな選択の積み重ねが現在を創っている。

 子育てに正解は無い。ネットや本で調べても絶対に解答は出てこない。

自分が選択したことを、その後自分で”正解”にしていく。

子育ても、人生も、きっとその繰り返し、積み重ねだと、私は思っている。

 発達検査をキャンセルする、という選択をしたことを。 これからの私が、“正解”にしていくだけ。立ち止まることも迷うことも絶対にある。 それでもこれが”正解だった”、と感じることに日々気づき、積み重ねていくだけだ。

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著者プロフィール

せあ

せあ

3児の母。子どもの発達特性に悩み、葛藤する中で自分自身のこと、心のことで大きな気づきを得る。この経験から物事の捉え方が変わり、親子関係、人間関係も好転。イライラ生きづらいママから人生を楽しめるように。私は今も悩み葛藤しながら子育てしています。私の経験談を通して、皆さんの心が軽くなったり前を向けるようになったら幸いです。