テレワークのストレスはどこから生まれるのか
厚生労働省の労働安全衛生調査では、仕事で強い不安・悩み・ストレスを感じる人が5割超と報告されています[1]。さらに内閣府などの調査では、コロナ禍以降、全国でおよそ3割がテレワークを経験しています[2]。通勤がなくなる代わりに、画面に向かい続ける疲れや、オンとオフの境界が曖昧になる感覚が広がりました。研究データでは、在宅勤務は集中と裁量を高める一方で、孤立感や「常に接続されている」プレッシャーがストレス反応を強めることが示されています[3,4]。家のこと、仕事のこと、わたしたちの世代が担う多層の役割が重なると、リカバリーの余白は細くなりがち。だからこそストレスの正体を言語化し、科学的に回復する仕組みを日常に埋め込むことが、テレワーク時代のセルフケアになります。
ストレスは「出来事そのもの」よりも、それを受け止める心身の負荷と回復のバランスで決まると考えられます。テレワークでそのバランスを崩しやすいのは、境界の喪失、テクノストレス、役割の重なりの3点が絡み合うからです。研究データでは、通知の多さや同時多発のチャット対応が注意資源を細切れにし、認知的疲労を引き起こすとされています[5]。会議が立て続く日、最後の1コマで言葉が出にくくなる感じは、単なる気合不足ではなく、脳の処理容量の問題です[6]。
編集部メンバーでも、在宅の自由度に助けられながら、終業後も仕事のことが頭から離れず眠りが浅くなるという声は少なくありません。医学文献によると、仕事から心理的に離れる時間が十分に取れると、翌日の活力と集中が高まり、ストレス症状が軽減する傾向が報告されています[7]。つまり**「いつ働いて、いつ離れるか」を意図的に設計する**ことが、テレワークを行う上で有益と考えられます。
役割の重なりと「いつも働いている感覚」
家庭内での役割と仕事が同じ場所で交わると、タスクの切り替えが増えて脳の疲労が蓄積します。洗濯機の終了音が会議中に鳴る、子どもの宿題のサポートが合間に入る、といった小さな介入が集中を削り、結果として仕事時間が夜に伸びる。研究では、このようなロールコンフリクトはストレス反応とバーンアウトを高めると報告されています[8]。逆に、家族との「静かな時間」の合意や、作業空間のゾーニングなど小さなルールがあるだけで、主観的なストレスは下がりやすくなることが示されています[9]。
テクノストレスと孤立感
通知、未読、既読、そしてビデオ会議。便利さの裏で、常時接続の圧力は交感神経を刺激し続けます。研究データでは、マルチタスク的なメッセージ処理はミスの増加と疲労を招きます[10]、ビデオ会議は対面よりも認知負荷が高いことが示されています[6]。さらに、雑談の減少はチーム帰属感を弱め、孤立感からストレス耐性が落ちやすくなることが報告されています[11]。だからこそ意図的に「つながり直す時間」と「切り離す時間」を設計することが、テレワークのメンタルヘルスを守る土台になります。
科学的に効く日中の整え方:境界・リズム・回復
ストレス管理は意志力の話ではなく、設計の話です。環境と時間の設計を変えると、同じ仕事でも負担が変わります。ジョブ・クラフティング研究では、業務の順番や関わり方を微調整するだけでも、活力と満足度が上がると示されています[12]。ここでは、テレワークの1日に組み込みやすい方法を、境界、リズム、回復の3つの観点でまとめます。
はじめとおわりの儀式で境界を作る
通勤という外的な境界が消えた分、内側に境界をつくります。朝はパソコンを開く前に3分の「始業ルーチン」を用意すると、脳が仕事モードに切り替わります。カレンダーを眺めて今日の山場を1つ決める、机の上を拭いて姿勢を整える、短い散歩で光を浴びるといった一連の流れは、意思決定のコストを下げ、ストレスの立ち上がりを緩やかにしてくれます。終業時には「シャットダウン・リチュアル」を設け、未完了のタスクを翌日の最初の一手に言語化してからデバイスを閉じます。心理学では、未完了のものほど頭に残りやすいとされますが、次の具体的な行動が言葉になっていれば、心は離れやすくなります[13]。
集中と休憩のリズムを設計する
研究データでは、短い休憩を挟むサイクルが疲労を抑え、パフォーマンスを維持することが示唆されています[14]。集中の目安を60〜90分、休憩を5〜15分に設定し、会議もできる限り25分または50分に短縮して切れ目を作ると、次のブロックへの移行がスムーズです。休憩ではスマホを眺め続けるより、眼と身体の回復を優先します。遠くの景色に視線を移し、数回の深い呼吸で横隔膜をしっかり動かす。立ち上がって肩甲骨と股関節を大きく動かすと、全身の血流が上がり、画面由来のストレス感が下がりやすくなります。メールやチャットの確認は、ブロックの境目にまとめる「バッチ処理」に切り替えると、常時監視のプレッシャーが緩みます[15]。
画面と身体の負荷を軽くする
目の疲れはストレス感覚を増幅します[16]。20分作業したら20秒だけ20フィート(約6メートル)先を見る、いわゆる視線リセットは取り入れやすい回復法です[16]。ビデオ会議はギャラリービューではなくスピーカービュー中心にし、必要なら自分の映像を非表示にすると、自己監視による負担が軽くなります[17]。椅子と机の高さを肘と膝が90度に近づくよう調整し、足裏がしっかり床につく姿勢を基準にすると、首肩のこわばりが減り、集中の持続に効いてきます[18]。
家の中の合意形成:家族・同僚との境界線
ストレスは個人の内側だけで起きているわけではありません。家庭やチームのルールに織り込むと、自己管理の負担は一気に下がります。家族には、集中が必要な時間帯と、短い介入なら歓迎できる時間帯をカレンダーで共有します。ドアが閉まっているときは声をかけず、開いているときは用事を話してOK、といった視覚的サインを取り決めるだけでも、割り込みは減ります。夕方以降の家事負担が偏りやすい場合は、終業の目安時刻を先に合意し、そこから逆算して会議を入れない帯を死守すると、無理のない役割分担が作れます。
同僚との間では、応答の期待値を明確にします。チャットは1時間以内、メールは半日以内、緊急は電話といった合意があれば、常時オンラインのストレスは弱まります[19]。会議の目的と判断ポイントを招集時に明記し、情報共有は文書、議論は短時間の会議、創造はオフラインのまとまった時間、といった役割分担をチーム文化にすることも有効です。
言いにくさを越える伝え方
合意形成は伝え方で成功率が変わります。非暴力コミュニケーションの枠組みでは、評価や結論の前に、具体的な観察、感じていること、必要としていること、お願いの順に伝えると、相手は受け取りやすくなります[20]。例えば「最近、午後の会議が連日続いています(観察)。終業後も頭が切り替わらず、寝つきが悪くなっています(感情)。まとめて集中できる時間が必要です(必要)。週に2日は15時以降の会議を避けられますか(お願い)。」という形です。相手の事情も聞きながら代替案を一緒に探すと、チームの信頼貯金が増え、ストレスの総量は減ることが期待されます。
心を回復させるミニ習慣:3分の介入で整える
ストレスは波です。波が高くなる前に、こまめに整えるほど安定します。編集部で実践が続いているのは、短時間でも効く小さな介入です。呼吸のミニ瞑想は、鼻から4秒吸って、6秒かけて吐くペースを数回繰り返すだけ。息を吐く時間を長くすると、副交感神経の働きが高まり、緊張がほぐれやすくなります[21]。窓辺で外気を感じながら一杯の白湯やお茶を味わう「マインドフル・ブレイク」も、五感経由でストレスのループを止める効果が期待できます。じぶんに対して「今は難しい状況の中でよくやっている」と短いフレーズをかけるセルフ・コンパッションは、研究でストレス反応の低減と関連づけられてきました[22]。批判よりも協力的な内なる声は、回復の速度を上げます。
感情の見取り図をつくることも役に立ちます。いまのストレスを0〜10でスケール化し、きっかけ、身体感覚、考えのパターンを一言ずつメモするだけで、反応は少し客観化されます[23]。数時間後に見返して、下がっていたら何が効いたのかを言語化しておく。次からは最初からその「効いたこと」から試せます。睡眠の質が落ちていると感じたら、まずはカフェインと光のタイミングを整える基本から。夜の整え方は、編集部の睡眠特集睡眠の質を上げるスタンダードも役立ちます[24]。
夜の「終業」を取り戻す
テレワークで最も失われやすいのが、仕事から離れる儀式です。外に一歩出て、家の周りを5〜10分歩く「ミニ通勤」は、終業のスイッチとして機能します[25]。帰宅後は、私用デバイスに切り替え、仕事の通知は翌朝まで止めるとよいでしょう[28]。夕食後の「なんとなくの再ログイン」を避けるには、翌朝の最初の一手を付箋に書いてキーボードの上に置いておくと、安心して区切れます[13]。身体を通じた回復も忘れずに、短いストレッチや軽いスクワットで大きな筋肉を動かすと、眠気の質が変わってきます[26]。
まとめ:わたしたちは設計で強くなれる
ストレスは敵ではなく、設計のコンパスです。境界をつくり、リズムを整え、回復を仕込む。テレワークのストレスは、あなたの意志の弱さではなく、仕組みの未調整から生まれていました。今日の一日で、始業と終業の儀式を加える、会議の長さに切れ目を入れる、家族や同僚と応答の合意を交わす。どれか一つから始めてもよいでしょう。できたことを小さく記録し、翌朝に活かす循環が回り始めると、ストレスは「自分を守るためのシグナル」へと意味が変わります。次の一歩に悩んだら、呼吸を丁寧にしてから、いちばん小さな調整を選んでみてください。
参考文献
- 厚生労働省. 労働安全衛生調査(実態調査)令和4年 結果の概要. https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/46-1.html
- 内閣府. テレワークに関する記述(令和2年版 経済財政白書 第2章). https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je20/h02-01.html
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