「女子ひとりお遍路旅」と、猫と、わたしのこと

脳に爆弾を抱えながら生きる29歳。猫との10年、貧困と富裕の狭間で見つけた「後悔のない人生」のために、四国八十八ヶ所巡りへ。

「女子ひとりお遍路旅」と、猫と、わたしのこと

今のわたしの生きがいは、旅と猫。数年前までは、酒と猫だった。

関東で雪が降るような寒い夜に外で寝てしまうくらいの大酒飲み。 今もたまに飲みすぎてしまうけど、あの頃のような「若さゆえの無茶」はしなくなった。 というより、できなくなった。そうしなきゃ生きられない時が来た。

猫とはもう10年の付き合いになる。唯一の友だち……。いや、幼なじみのような距離感で、ゆるく一緒に暮らしている。里親募集のサイトで、一目惚れ。友人に頼み込んで車を出してもらい、迎えに行った。

手のひらサイズでか細く鳴いていた彼女も、今じゃトドのように丸くなり 「ご飯よこせ!」「トイレ掃除しろ!」「寝床を整えろ!」と忙しなく喋りかけてくる。

そんな日常の中で、わたしの身体に爆弾が見つかったのは大学卒業の目前だった。 診断は「ガンの一種」。幸い末期ではなかったけれど、完治は難しいと言われた。巣の場所は「脳」だ。全部取り切るのは不可能だと、医者にきっぱり言われた。

耳鳴りや頭痛は、その1年前からあった。でも「どうせ酒のせいだろう」と、ずっと放置していた。ある日、アルバイト中にどうしても耐えられなくなって病院に駆け込んだ結果、すべてが明るみに出た。

「酒を飲みすぎると脳がむくむことがある」と、医者は言った。

笑うしかなかった。

でも時間は容赦なく過ぎていく。目を背けても、現実はそこにある。その事実と毎日向き合いながら生きていたら7年経っていた。

何度も自分に問い続けた結果、ありきたりな答えが出た。

――「最期の日に後悔のない人生にしたい」

「やりたいことリスト」、いわゆるバケットリストを作ったのも、そんな思いからだった。その延長線上で、四国八十八ヶ所巡りにたどり着いた

「貧乏人」と「金持ち」の出会い

「貧乏人」と「金持ち」の出会い

わたしの人生は、「普通」に見えて、ちっとも普通じゃなかったと思う。

実家は、ものすごく貧乏だった。シングルマザーの母と、年の離れた弟と私。東北のド田舎暮らし。私は幼少期に関東に住んでいた時期があったから、寒くて思い入れもないその土地を出たくて仕方なかった。

大学は自分の借金、つまり奨学金で進学した。学ぶこと自体は好きだったけれど、教育環境のせいもあり、選択肢は少なく、「Fラン」と呼ばれる大学へ。努力せず入れるところだった。目的は「大学卒」という肩書きだけ。

だから、18歳で夜職を選ぶことに迷いはなかった。仕送りもなかったし、生きるためには稼がなきゃならなかった。上京して半年は本当にカツカツで、あの頃の自分を一言で表すなら「生きるのに必死」だった。

しかし、人生の転機は、本当に思わぬところで訪れた。

夜職の世界で、ある「主」と出会った。よくある話かもしれないけれど、寂しさを抱えながらもお金には困っていない人。奥さんを病で亡くしたばかりで、わたしのような芋娘を世話することで寂しさを埋めていたのかもしれない。

その人はとにかく頭のキレる人で、たくさんのことを教えてくれた。

「絶対飛行機なんて乗らない、怖いから!」と豪語していたわたしを、時間をかけて変えてくれた。今では飛行機が好きすぎて、月に何度も海外に行くような人間になってしまった。年に、じゃなくて「月に」乗る。

衣服、建築、美食、旅……。いろんな世界を見せてくれた。

その一方で、自分の中の**「女性らしさ」に向き合うきっかけ**をくれた。

ある日突然、銀座のデパートに連れていかれ「これが似合う」と渡されたのは、自分では絶対選ばないような高級なスカート。値札を見てゾッとした。

牛丼何杯分だよって。

でもその瞬間、ずっと自分を縛っていた「枠」が、ほんの少しだけ壊れた気がした。

わたしは少しずつ、「着回し人形」になった。自分で服を選ばない代わりに、「節約」と自分に言い聞かせ、与えられた女性らしさを受け入れるようになっていった。

一般的な女性像と、旅に出会う

一般的な女性像と、旅に出会う

幼少期の記憶に、ひとつだけ苦いものがある。

12歳の頃、白くて綺麗なロングスカートを母と見に行った。試着室から出たわたしを見て、母が言った。

「あんたにはこっちの方が似合う、それは違う。」

ああ、わたしはスカートを履いちゃいけないんだ。

そう、心に刻み込んだ記憶。母はきっと悪気はなかった。でも、その一言がわたしの中の「女性らしさ」の扉を、そっと閉じた。

あの主との出会いは、その扉をもう一度、少しだけ開いてくれたのかもしれない。 その人と旅をするようになって、飛行機に慣れ、旅の魅力を知った。いつしかわたしは、全国に足を運ぶようになっていた。

そして、「旅」から「神仏」へ。

「八十八ヵ所巡り」にも自然とたどり着いた。

かつて飛行機嫌いだった自分には、絶対できなかった旅だと思う。

旅立ちと出発

旅立ちと出発

もうひとつ、旅に出る理由があった。

数年前、ある友人が心筋梗塞で急に亡くなった。まだ40歳だった。

最後に会ったのは喧嘩別れのような形で、それが今もずっと心に引っかかっている。

その人は酒が飲めなかったけれど、酒に酔ったわたしのくだらない話に、夜な夜な付き合ってくれる数少ない優しい人だった。

そのお葬式には、まるで芸能人のようにたくさんの人が集まっていた。「人を大事にしてきた人なんだ」と、心から思った。

その人がわたしに言った言葉で、今でも覚えているものがある。

「生き急ぎすぎじゃない?」

あなたは?後悔のない最期を迎えられた?

そう聞いてみたくなった。

四国八十八ヶ所巡りを終えると、「結願(けちがん)」という言葉になる。達成し、願いが叶うという意味がある。

「後悔のない人生を送りたい。」

そう思って始めたこの旅だけど、歩くうちに気づいた。

本当に願っていたことは、「自分と向き合うこと。」

爆弾を抱えた身体、失った人たち、昔の自分と、いまの自分。

その全部と、ようやく向き合えるようになりつつある。旅は、まだ続く。

著者プロフィール

織架

織架

29歳。フリーランスエンジニア、インフルエンサー。子なしバツイチ経験者。自由に生きることの重要性を伝えるため参画。